00493-050905 「しかる」と「おこる」
「しかる」と「おこる」は全く異なります。
「しかる」とは,相手の行動がルールに反していることを教え,本来,どのように行為すべきかを伝えることであり,相手の社会性や規範意識の形成を促す働きかけのことです。一方,「おこる」は,怒りという感情の発露です。すなわち,たとえば相手が自分を侮辱するなど怒りを喚起する言動や行動をとったときに,それに対して本気で怒りをあらわにすることです。
したがって,「しかる」ときは至って冷静。クールな頭で理路整然とものごとの道理,ルール,そしてそれがなぜそのようなルールになっているか,そのルールに従うことがなぜ必要かを説明します。一方「おこる」ときは熱い。論理ではありません。感情です。
また,「しかる」ときは,相手の成長を願っています。つまり「相手のためにしかる」のです。一方,「おこる」のはいわば自分のためです。自分が相手によって感情を逆撫でされたときなど,その怒りを表現し,相手に伝えるのです。
shioは,子どもに対して「おこる」ことはまずありません。一方,「しかる」ことはたびたびあります。子どもに社会の規範を伝えることが大人の責務だからです。では,「しかる」ために,何が必要か。
「しかる」前提には信頼関係が必要です。上記のリンクの中で,たびたび,
ほめる:しかる:おこる=90:9:1
と比率を書いております。相手を「しかる」資格があるのは,その10倍,その人を「ほめて」いる場合だと思います。相手のよいところを常々よく見て,それを「ほめて」いる間柄であれば,信頼関係があります。いつもほめてくれる信頼する人が「しかる」れば,自分のためを思ってきちんと論理的にルールを教えてくれている,だからそれを正面から理解しよう,という姿勢が生まれます。信頼関係が形成されていないのにしかっても,なかなか受容されないと思います。
また,大切なことは,「相手をしかる」のではなく,「相手の行為をしかる」ことです。
人としての相手に対しては最大の愛情を注いでいる,だからこそ,その反規範的行為を正してほしいと願い,それを伝える。それが「しかる」です。「人をしかる」のではなく,「行為をしかる」のです。相手を心から愛しているからこそ,なせるわざです。「しかる」のは愛情表現のひとつなのです。
次にしかりかた。
shioは「○○しなさい。」「××してはいけません。」とは言いません。
「○○しましょうよ。なぜなら〜だからです。」「○○していただけますか? なぜなら〜だからです。」「××するのではなく○○する方がいいと思います。なぜなら〜だからです。」と言います。もし相手がそれに納得して「はい。」と言いその行為をやめれば,shioは「ありがとうございます。」と言います。そこでほめることはありません。マイナスの行為をやめただけであって,プラスのことをしたわけではないからです。
もし,相手が納得しなければ,納得するまで話し合います。ものすごく根気がいります。でもあきらめず,伝えます。shioの価値観に基づく規範意識を相手に伝え,相手の価値観とすりあわせるのです。相手がことばを解さない場合,行動で伝えます。以前,ある0歳児が子供用の椅子に座って,テーブルの上に置いてあったマヨネーズの容器をわざと床にポイッと落としました。すかさずshioは横に行って,ニコニコしながらそのマヨネーズを拾い,テーブルに載せました。するとその子は,またそれを持って,下に落としました。shioは拾いました。延々,それを10回以上繰り返した後,その子は大泣きしました。そこで彼を椅子から抱き上げ,抱きしめながら,テーブルの上のものをわざと下に落とすことはよくないことであると,ことばで伝えました。以後,その子はテーブルの上のものをわざと床に落とすことはありません。
ことばのかけかたの基本は「Let’s」です。
ときに子どもは,ことばだけでは理解しないこともあります。その場合は,しかたがないので反規範的行動に対するサンクションが必要です。子どもに対するshioのサンクションは2種類。「くすぐり」と「暗いお部屋」です。軽微な場合は相手が観念するまでくすぐればすみますが,重いサンクションが必要なときには「暗いお部屋」に閉じ込めます。こどもは「出して」と言って泣きます。それが大切。それはなぜか。
社会にはルールがあります。そのルールを守ってこそ社会で生活できます。ルールに反したことをしていたら,社会から受け入れられません。つまり社会に出られません。だから,パーソナルなエリアとしての「暗いお部屋」に戻ってもらいます。そしてそこでshioから改めてルールに付いて説明を聞き,それを理解し,納得したら,社会復帰できます。社会に「出る」ことができるのです。常に「原点」に回帰し,そこから再出発する,という教えです。
主に「しかる」について書きました。これがshioが考える「しかる」であり,「おこる」との相違です。ご質問くださった方,いかがでしょうか。
実はshioは,昨年5月14日と15日に,下記のふたつのエントリーを書いています。ぜひごらんください。「叱咤」=「しかる」の意味については,上述の補完になることと思います。
人の成長において,しかるより,はげますより,はるかに大切なことは,感謝し,ほめることです。でもときには,マイナスの行為に対して,しかることも必要。それは,平素から,プラスを評価し,賞賛し,感謝しているからこそ,意味を持つのです。